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お知らせ

2013年1月12日 19:52

☆大卒クラス『英語』 ~ 補足&メッセージ☆

 

2013新年が明け、健やかなる皆様の様子に喜びを感じております。

 

授業の合間や放課後に、「ブルーム」と言って手を広げたり

「コラプスッ」と言いながら倒れてみたり・・・。

あ~何と前向きに楽しく生き生きと学んでいることかと、こちらが幸せを

頂いている気がしています。

 

さて、今週取り上げた文章の全訳を上げておきます。

 

①テキスト P.82

 The child from whom for any reason parental affection is whthdrawn is likely to become

timid   and unadventurous,filld with fears and self-pity,and no longer able to meet 

the world  in a mood of gay exploration.


Such a child may set to work at a surprisingly early age to meditate on life and death

and human destiny. 

He becomes an introveart,melancholy at first,but seeking ultmatery the unreal consolations 

of some system of philosophy or theology.

The world is a higgledy-piggledy place,containing things pleasant   and  things unpleasant 

in haphazard sequence.

 

And the desire to make an intelligible system or pattern out of it is at bottom an outcome

of fear, in fact a kind of agoraphobia or dread of open spaces.

Within the four walls of his library the timid student feels safe. 

If he can persuade himself that the universe is equally tidy,he can feel almost equally safe

when he has to venture forth into the streets. 

 

Such a man,if he had received more affection,would have feared the real world less,

and would not have had to invent an ideal world to take its place in his beliefs.

 

 

授業では、一文目の・・・

『 The child become unadventurous 』 の部分と、最後の文だけを

「助Vの過去は反対ね」を意識して読めば、選択肢5の・・・

『親の愛情に恵まれず外界に恐れを抱くようになった子供は

複雑な世界を割り切る体系なり観念なりを作り出すようになる 』、を選べましたね!


限られた時間の中で一般知能としての文章理解を解くにあたっては、せっかくの

良文を味わいもせずに、ハイっ次!と行かざるを得ないのですが、改めて読み返すと

これから社会に出ようとする皆さんにとって中々の示唆に富んだ内容ではないかと

感じています。

 

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[直訳]

何らかの理由で親の愛情が削がれた子供は臆病、非冒険的となり、恐れや

自己惨め感で充たされ、もはや陽気な探検たる雰囲気の世界に適応できなくなる。

そんな子供は凄く早くから人生や死や運命についての瞑想にとりかかる。

彼はやがて内向きに妄想しはじめ、哲学や倫理体系から非現実的慰めを

大探求していく。

世界というものは快と不快の無秩序な連続を含む全くのでたらめである。

そして、知的体系、類型を見出したいとする望みは、実際、一種の広場恐怖症たる

恐れから来るのである。彼の書斎の四方の壁の中で、その臆病な書生は安心を

獲得するのである。

もし彼が「世界というものは何処も等しく泰然としているのだ」と彼自身に

言い聞かせることができたら、彼が街頭に進み出なくてはならないときにも等しく

大丈夫だと感じることが出来るのである。

もし彼が親の愛情に恵まれ外界に恐れを抱くようにならなければ複雑な世界を

割り切る体系なり観念なりを作り出すこともなかったろうに。

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さてさて、他人ごとではないなと感じたのは皆さんも一緒ではないでしょうか。

 

別に、いくら親の愛情に欠けるところなく無事「子供の完成」を成し遂げたとしても

「第二の誕生」を遂げなくてはならない青年期には誰しもが経なくてはならない

産みの苦しみは体験するはずですね。

「第二の誕生」に向けてある種の殻にこもって充分に熟さなくてはならない。

自分自身を振り返っても、そんな時期は確かにあったように思うのです。

 

しかし第二の誕生を担うべき教育機関が同じく子供の完成に失敗した上記文章に

出てくるような書生に担われては「陽気な探検」にも「泰然たる世の中」にも信頼を

寄せることが難しくなりますね。

 

学院は「第二の誕生」に向けた養分豊富な「第二の母胎」でありたい。

そして個人的にはもう一度「エミール」を読み返してみたいと思った次第です。

 

子供を完成させよ!子供を子供として完成させよ!

大人達は子供を子供ではなく博士にしようとするから、健全にも

それを理解できない子供たちは早くから大人を社会を信用しなくなる。

生きる力が失われる。

子供たちを博士としてではなく子供として完成させよ!自然に帰れ!

というルソーの警告が再び思い出されるのです。

 

さて皆さんはどう考えたでしょう。

 

堤 泰一